096.溺れる魚
破れた戦闘服をなおす時、この服の傷と身体とがぴたりと重なる場所に、葉の肌にも同じような傷ができているのだろうと思うと、急に恐ろしくなることがある。
服だけがかすっていればいい。けれど持霊がいくら優れていようとも毎回うまくいくとは限らないし、またうまくいっても葉の修行にならないという相反する感情がぶつかる。
あいつの肌に、あたしがつけた傷だけだったときは、あたしは自分を責めれば良かった。責めて、責めて、せめて、強くなろうと思っていれば良かった。
けれど今、葉の傷には見知らぬものが増え、あたしは現在自分の知らないところにあの男が立っているのを知ってしまった。もちろん修行はつけるけれど、葉は知らないところで戦って、ひとりで強くなっている。それはきっとあたしがここに来なくてもそうだったに違いない。
…じゃぁあたしの役割は?
少しでも傷がつかないように強くして、傷が出来れば縫合して、でももしそれが間に合わなくなったら…――。
傷を見ると不安にかられてしまう自分を、強がりで奮い立たせることはできても、決して目を逸らし葬り去ることはできなかった。
失ってしまったらどうしよう。あたしの心の、暖かな気持ちごと、あいつがあたしから連れ去られたらどうしよう。あたしはもう一度、暗く深い闇に捕らわれてしまうかも知れない。そうしてもう二度とそこから救い出してくれるひとなど現れないのだわ。誰もあたしに光を与える事はできないだろうし、あたしは葉以外に救われたくなどない。
…恐い。
葉を失う事も、あたしを失う事も。…いいえ、あたしはあたしを失っても、葉がいないのならきっとそんなことどうでも良いんだわ。葉がいるから、あたしはあたしを失いたくないだけで。
葉だけが全、だというあたしは弱いのだろう。
誰かと共に生きていける強さを持ち合わせた葉は、何よりも強固な存在で、そしてあたしを少し悲しませた。
あたしだけの彼でいて欲しいという醜い思いを否定することはできない。けれどあたしだけの彼などつまらない存在だと思う。シャーマンキングになる男は、そんな人間では駄目なのよ。あたしだけの、葉なんて。
けれど
「寂しい」
本音を言うと、葉はいつもより激しくあたしを抱いた。そこに甘えて、あたしはもっととすがって高い声を上げ、波に囚われその中で泳ぐ。気持ちいい、と声にならない声を上げて、涙を流して葉に溺れた。
このときだけは、葉はあたしだけのものになる。
他の女なんて、女に限らず何者だって、葉の瞳には映りこまない。あたしを離すまいと抱く腕の力強さが好きだった。熱にうなされながら、冷静な頭が葉の動きを観察していた。あたしの身体を少し乱暴に這う指や舌に感じ、熱い声があがる。
息苦しくて、どうしようもなく苦しくて、次第に間隔を狭めていく息づかいに、あたしはあたしを失っていた。あたしはあたしを失うことを、この男の前でなら許せる。彼の手であたしが崩されるのなら、恐怖も感じない。開放感と絶頂を迎えて力尽き白いシーツに投げ出す身体を、何度でも葉に曝すことが出来た。
アンナの溺れ方は、人間がジタバタ手足を動かして溺れるようなそれではなく、どちらかというと魚が溺れているかのようだ。魚が溺れるのかどうか、実際の所は知らん。だが、溺れてはいるアンナだが、それは見た目としてはスイと優雅に泳いでいるかのような美しさを持ち合わせた溺れ方なのだ。
「寂しい」
そう言って滴の見えない涙を流すアンナはやけに儚くて同時に変に色気があった。色気なんて言葉、同じ年の女子に使うものじゃないような曖昧で踏み込めない響きを持っているんだが、不思議とアンナにはその言葉が合う気がした。
言ってしまえばオイラの下で素肌を晒すアンナは、身にまとう空気全体が女であると主張していた。オイラの方もそれを感じれば急に自分が男であることに思いが当たって、それ故かもしくは常日頃から持ち合わせた性格というものか、寂しいという女を、がむしゃらに抱いてみたくなる。
濡れたアンナの中に何度も己を突っ込んで、身体を揺らすとアンナが切なげに声を上げてオイラに溺れていった。
ジタバタもがくのでもなく、水を恐れて顔をゆがめるのでもなく。
スイと泳いでいるかのように、水の流れを楽しむかのように。それでいてそこには常と比較にならないほどの熱い身体と声があるんだ。もっともっとと繰り返す彼女は、確実にオイラの波に呑まれて溺れていた。
そんな彼女にオイラの方が息もつけないほど溺れてるのは分かってる。オイラの溺れ方は、まさに人間が慌てふためくそれで、みっともなく水上に顔を出し活路を見いだそうとしている最中だった。
こんなにそばにいるのに。
彼女を寂しいと言わせるオイラはいったいなんなんだろう? オイラが、いるのに。
無力感にも似たものが胸にわき起こることから、もしかしたら色気がどうだといったことは、後付けした理由に過ぎないかと思う。
単に悔しいだけだ。オイラの気持ちを認めようとしないアンナに腹を立て、無闇に犯すようにして抱いてやろうなんていう、どこまでもみっともない考えなんだ。
もっと鳴けよ、もっと足を開いて、濡れた目でオイラを見てみろよ。オイラはここにいるんだぞ?
言うに憚られるセリフを頭で描くが、口をつくことはなくアンナにも伝わらず、熱い空気の中にとけ込むように消えてしまう。
綺麗に溺れる魚じゃなく、みっともなくあがく姿を見せてくれよ。寂しいなんて、空遠いこと言わずに。
オイラの役割って、何なんよ?
寂しいと言われることが、寂しいんだ。
2004.11.12
懺悔
互いの中の自分の位置が分からないまま抱き合う夫婦…も、萌えかと。
まとまってなくてすみません。途中で主旨ずれました。
抱かれることで位置を確認するアンナと、
抱くことで位置を見失う葉って感じのすれ違い。