人の顔の赤くなる、あれはいったい何だというのだろう。
嘘をつく人間への、神の残した最後の良心だろうか。
彼の意図が何であれ、罪深いものだとアンナは思った。
――本当はそんな大仰なことでなく、ただ困ったということなのだけれど。
3.あかいため息
誰よ、宴会の席に酒を持ち込んだのは。
アンナは広間に横たわる赤い顔をした屍累々を苦々しく見つめた。それは辺りに立ちこめるアルコールの匂いのせいでもあったが、もっと簡単に説明してしまうなら腹が立っていたからだった。
酒を持ち込んだ犯人を特定するのは容易ではない。候補は3人ほどしかいないが、その中の誰が、といったことまでは明らかではないし、ここでその本人を見つけることが必要であるかと言えばそうでもない。
問題はこの屍を一晩この炎に放置しなければならない鬱陶しさであり、煩わしさであり、そしてわずかばかりの嫉妬なのだった。
「あんたたち…」
さほど大きくもない声なのだが、その地獄から響くような恐ろしい音に、屍たちは一瞬にして生者となって半身を起こした。
しかしその地獄の使者の声も酒の力には勝てなかったらしく、上半身だけを起こした男達はそのまままたパタリと床に突っ伏した。
「ここに泊まるんなら宿泊代払えって言ってんでしょ」
「あぁー払う、払うから休ませてくれー」
青い髪が地毛だという常識外れの男が、死んだような声を上げた。
そう言って払った試しがないのがまた腹立たしいところなのだが、彼――ホロホロにしてみれば、かなりの重労働を仕返しとして頂いているのだから、貸し借りはなしだと思っている。
「…」
アンナはそれ以上誰も何も言わないでぐるりと部屋を見渡し、皆と同じように酒に酔って赤い顔をして寝ころんでいる許嫁でしばらくの間視線を止めた。
「葉」
「あー許してくれよアンナー」
酔えるところまで酔ったらしい葉は、ろれつもしっかりまわっていない口調で言った。
「オイラ、こいつらといてすげー楽しいんよ。好きだぞお前らー」
普段言えないことも酒の力を借りれば素直に口をつくのか、それとも単に上機嫌なだけか、葉は仲間達に思わぬ告白をして、そして部屋の赤い顔をした連中はその言葉でまた赤くなった。
「バッカ、お前なに恥ずかしいこと言ってんだよ。信じらんねぇ」
「ダンナはもーこれだから」
ぶちぶちと文句を言いながらも、まんざらでもなく照れた様子の連中を知ってか知らずか、葉はまた上機嫌に「ウェッヘッヘ」と笑い声を上げた。
楽しそうな様に、またアンナは苛立つ。友だちができてこうして笑い会えるということが、葉にとってどれほど嬉しいことか、そしてどれほど望んでいたことであるかも知っている。――しかし、けれど。
「じゃああたしのことは?」
気付けばアンナはそう口にしていたが、実際は「思わず」というにはほど遠く、葉の胸ぐらを掴んで顔をぐいと近づけて、鬼のような形相でそう言ったのだった。
「…」
アンナの言葉にその場は一瞬疑念の空気に変わった。自分の耳が聞いたことは本当にアンナが発した言葉なのだろうか? そして葉にとっては、その意味が本当に自分の思う言葉――つまり、「好きだぞおまえら」に繋がるのかどうか。繋がるとすれば、それに答えることはアンナに告白することと同等の意味を持つのではないか。だとするとアンナの言葉自体、自分に対する告白のようなものではないか。
酔った頭でそこに気付いたときに、酔いとは別の理由であたまがボンヤリクラリとした。それが告白であると同時に彼女らしく素直じゃないやきもちも入っていると容易に推測できれば、十分に赤かった顔が更に熱を持ったことが自分でも分かった。
「す…っ」
「す?」
部屋の中の連中が葉の言葉を逃すまいとしているのが分かる。
「す…」
葉はごくりとつばを飲み込んだ。
「す、スキに決まってんだろ。お前とは長い付き合いだしな!」
わざとはぐらかしたとも告白し返したとも取れる返事をして、アンナを見た。意地の悪い答え方をしたと自分でも分かるので、彼女は怒るだろうと思った。それでもその怒りで話が自分のだらしなさやいい加減さといった別の方向に行けばいいと思ったのだった。しかし…
アンナは顔を赤くして、驚愕したような顔で葉を見たのだった。
「…アンナ…?」
「な…なんでもないわよ、バカッ!」
真っ赤になった顔を見せないようにとアンナは葉から身体を離し、「あんた、こいつらに宿泊代と飲み食い費は払わせなさいよ!」と負け犬の遠吠えよろしく叫んで部屋を出て行った。
「…なんじゃありゃ」
酔いも覚めないのに、あたかも自分が一番マトモな感覚を持ち合わせているとでもいうようにホロホロが呟いた。「おかしいんじゃないか、アンナのやつ」
しかし葉はその言葉が聞こえていないようで、ぼんやりとアンナの出て行った襖を眺めていた。
アンナがあんな顔をするとは全くの予想外だったのだ。シャレではなく。軽く言ったつもりのあんな言葉に、顔を赤くさせるなんて。
こんなことならもっときちんと言ってやれば良かった。…いや、言えば良かったと思う。先に立たないのが後悔というやつで、葉は置き去りにしてしまった本心を心の中で反芻してから、ふぅと息をついた。
まったくもって馬鹿なことをした。普段言えないことを言う絶好のチャンスというやつだったというのに。うまくいけば酒のせいだと誤魔化せたはずだ。何より実際、酒が入っていつもより有頂天だったにも関わらず、素直な言葉が出なかった自分にため息が出る。そういう意味じゃ酒の入っていないアンナの方がよっぽど酒の入ったように、滅多に口にしないことを言っていた。
一連の中で酔いが覚めたにもかかわらず、ふいにもう一度顔が赤くなった。そうして葉はひとりで喜んでいる自分の不甲斐なさに、またため息をつくのだった。