その日、少年はひとりの霊と出逢った。

4.ユルし、ひとつ

「んん? キミはどうしてこんなところでぼんやりしているのかな」
長髪でメガネの男が、唐突にしかもなれなれしく話しかけてきたので、少年は思わずムッとした。更に言えばそれは霊で、母親からあまり通りすがりの霊とは(堂々と)話さないようにと注意を受けている彼としては、言葉を返すには躊躇われる相手だった。
「ん? 僕はアヤシイ人間じゃないよ。死んでるけどね」
はっはっはっといとも爽やかに笑われて、少年はガクリと肩を落とす。
「じゃぁおっさん誰なんだよ…」
「僕はあらゆるものの父、迷える子どもたちの味方さ」
「あー分かった、変態ってやつだな」
「うんーキミはなかなかに痛いところをぐさりと突く子だね。誰に似たのかな…」
霊はぼそりと小さく呟いたが、少年はその言葉を聞き逃さずギロリと睨んだ。
「オイラが誰に似てよーがおっさんの知ったこっちゃないだろ」
吐き捨てるように言ってから、少年はもう一度ふいと視線を外した。
「…君はどうしてここにいるのかな」
霊は落ち着いた声で、もう一度彼に話しかけてきた。そこにからかうような響きがなかったので、何となく少年は話す気になった。自分がどれだけ大きな使命を持っているかということを。
「オイラは、ある男を待ってるんだ」
「ある男?」
コクリと少年は肯く。
「母ちゃんを悲しませてる男。オイラの父ちゃんってことみたいだけど」
「…」
「何年もどっかほっつき歩いてるから母ちゃんが悲しんでるんだ」
「そうか」
「そう。だからオイラはその男を見つけて、ぶっ飛ばすんだ」
「それは穏やかじゃないね」
男は静かにそう言って、口を閉ざした。
どうだオイラの使命のでかさを知ったか。少年は男の無言をそう捕らえて、少しだけ得意になった。
「…そうか、じゃぁ僕も君にぶっとばされなくちゃならないかな」
「何で。おっさんは父ちゃんじゃねぇだろ」
「そうだね。どちらかと言えばおじいちゃんだね」
「…」
そんな年でもないだろうと思う。よくよく分からないおっさんだ。
「僕はね、…僕もね、息子を放って、妻を放って、何年も放浪してしまったんだよ」
「…じゃぁおっさんも最低だ」
「うん、そうだね」
――いや否定しとけよ、そこは。
本当にこの男は自分をからかっているのではないのだろうか? 少年は訳が分からずにただ黙っていた。
「でもね、僕は本当に、息子を愛していたんだよ」
「信じられるかそんなこと」
「だよねぇ、信じられないよねぇ」
はっはっはっとまたゆるく高らかに笑うので、少年はこの霊に拳をあてたくて仕方なかったのだが、実際にそれが出来ないことに気付いて少し愕然とした。
「それでもね、少年よ。僕は本当に、息子を愛してたんだ。ただそれを表すために何が最善かが分からなかったんだよ」
霊はそう言って悲しそうに笑った。「そうして僕は、判断を誤ったのかも知れないね」
「…」
「ねぇキミ、僕が真剣に謝ったら、僕の息子は許してくれるだろうか」
霊はぽそりと呟いた。言葉の響きよりも、もっと真剣な表情で。
「そんなのわかんねぇよ」
「そうだね…」
「…でも、ちゃんとワケを話して、マジに謝るんなら、許すかもしれねぇ」
「…そうか」
霊は納得したように肯いた。「そうか」
無言のまま、霊はその場に立っていた。この墓地から、街を眺めていた。その瞳には街の光がキラキラと輝く。…彼の息子が、愛した街。
「キミは優しいね」
「…そうでもねぇけど」
何故そんなことを言うのか分からずに、少年は霊を見上げた。瞳の中に映る街の光が、静かにこぼれたように見えた。
「ねぇキミ」
「えっ」
突然男がくるりと顔の向きを変えて自分を見たので、少年は驚いて声を上げた。
「ねぇキミ、お願いがあるんだ」
ニコリと笑って霊は言う。
「な、なんだよ…」
今見たものは勘違いかと思うほどの、素早い切り替わりだ。少年は男の言葉を待った。
「もしキミのお父さんが出てきて、きちんと説明をして、きちんと謝ったら、できればキミもキミのお父さんを許してくれないだろうか」
少年は、その言葉にしばらく考え込んでいた。先ほどのように第三者的に考えれば、それなら許せる気もしたのだった。
「そうだな…ちゃんとナットクできたら、許す…かもしれねぇ」
「ありがとう」
ひどく自信なさげな少年の言葉にも、霊はそう言って嬉しそうにニコリと笑った。
「ああ、いけない。ぼくはそろそろ行かなければ」
「どこに」
「僕は迷える子どもたちの味方だからね。誰かの泣き声が聞こえればすぐに駆けつけるのさ」
「…オイラが泣いてあんたを呼んだってのか?」
ムッとしたように言う少年にまた笑顔を向けて、霊は首を傾げた。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。キミにはまた会えることを祈っているよ」
不可思議な霊は唐突に現れて、唐突に去っていった。
気付けば夕日が沈もうとしている。母親の怒った顔が浮かんで、少年は立ち上がった。
みんなの父と名乗り、なのにどちらかと言えばおじいちゃんだという霊は、きっとまたどこかで自分みたいな子どもに話しかけてるんだろう。
少年は自分の父を思った。
あの霊のようになにか言いたくても言えないような、説明をしたくてもできないような、話せば目に涙が光るような、そんな理由が自分の父にもあるのだろうか?
今は分からない。ただ見つけ出したときにイキナリ殴るのは止めてみようかと、少年はこっそりと決意を変えていた。
「じゃぁな、おっさん」
今はもう姿を消した霊に声をかけて、少年は丘を離れた。

その日少年は、ひとりの霊と出逢った。
その少年に許しを願った、それは悲しい彷徨う霊だった。