bitter sweet


 オイラは、玄関に見覚えのあるサンダルを見つけて、買い物袋も放り投げそうになった。
 辛うじてその中に卵が入ってることを思い出したので、オイラはぐっと袋を掴み直す。急いでサンダルを脱いで、バタバタと足音をたてながら廊下を走る。広い家にもどかしさを覚えながら、大声で叫んだ。
 「母ちゃん、アンナ来てんのかっ!?」
「葉、静かになさい」
 台所から顔を覗かせて、母ちゃんが少しとがめる顔をする。
「う…」
 オイラはしゅんとなって、おとなしく母ちゃんに買い物袋を手渡した。がさりと音をたてて、オイラの手から離れていく。
 「アンナちゃんなら、居間でお昼寝中よ」
「え…!?」
 パッと顔を上げると、母ちゃんは笑っていた。
「あなたを待ってたんだけど、疲れちゃったのね」
「……!!」
 アンナが、オイラを……。
 「って、そしたら何でオイラを買い物に行かせたんよっ、オイラだってすぐ会いたかったぞ! せっかく冬休みだっつうのに…」
「仕方ないでしょ、たまおは修行に出かけてしまったし」
 母ちゃんはそう言って、袋をのぞき込みながら台所に入っていった。自分では行かねぇんだな…。まぁ料理の支度とかあったんだろうが…。
 オイラはポリポリと頭を掻きながら、その実はやる気持ちを抑えられんかった。
 居間に、アンナがいる。寝てるみたいだけど…でも、今年の夏休み以来ずっと会えんかったアンナが、今は、同じ家ん中にいるんだ。
 オイラはなるべく足音はたてんように、でも急ぎ足で居間へ向かった。
 ガラリとふすまをあけると、居間には……
 「あれ? ばあちゃんひとりか?」
 ばあちゃんがこたつに入ってひとり茶をすすってる。
 「なんじゃ、不満か」
「い、いや、めっそうもございません…」
 オイラはたじたじとなって言う。
 けど不満なのは事実で…って、ばあちゃんに言ったら殺されそうだが、とにかく、オイラが会いたかったんは――いや、ばあちゃんにも会いたかったが――それ以上に、ずっとずっと、会いたかったやつがここにいるはずで……。
 「アンナなら縁側におるよ」
「え?」
「アンナじゃろ? 縁側におると言ってるんだ」
 さっさと行けとでも言わんばかりの口調。み、見透かされてる……。
 「お、おお…ばあちゃんも元気そうで何より……」
「余計なことは言わんでいいよ」
 ばあちゃんの毒舌に押されながら、オイラは居間から縁側へと出た。柔らかい日が当たる板の上、まぶしくて少し目を細めたけれど、はっきりと見えたオイラの、嫁。
 薄い茶色の髪、白い肌、黒い服……縁側に寝っ転がるアンナは全てオイラの記憶通りで、でもそれ以上に鮮明で、まぶしかった。
 「……っ」
 何故か頬が熱くなる。いや、何故か、なんて白々しいな。アンナが綺麗だったからだ。
 ――何か、マズい。
 アンナってこんなに綺麗だったっけか?
 そりゃもちろん、初めて会ったときにも、オイラはこんな風にやたらと顔が熱くなる思いをしたんだけど。あの時も、綺麗だったけど。
 けど、なんか――オイラが感じたのは「可愛い」で。
 こんなに綺麗だったっけか? アンナという存在に、こんなにも吸いよせられるなんて。
 無駄に大きく鳴り始めた心臓を抑え込んで、オイラはその姿に目を奪われた。オイラの神経全部そっちに惹きつけられて、離れなくなっちまってた。
 「葉、アンナを起こしてやってくれないか」
 唐突にばあちゃんの声が居間から聞こえて、オイラは飛び上がりそうになった。
「そこは寒いだろう、体にもよくないからね」
「ぅ…お、おお」
 うわずりそうになる声を低くして、何とかごまかす。のどの奥が変にじりじりと痛い。
 オイラはおそるおそる、アンナに近づいた。
 「ア、アンナ…」
 肩に手を伸ばしかけ、ためらったが、思いなおしてそのまま手を伸ばす。冬の空気に触れて冷たくなった、白いむき出しの肩に触れた瞬間に、手から心臓にかけて一気に電流が駆けめぐった。それは更に身体全体を走りまわって、オイラを金縛りにする。
 「…っ」
 細くて柔らかい腕は、オイラの手の平に思いのほか吸いついた。冷たいはずのアンナの肌は、オイラにとったら熱の塊と同じで、それはオイラを壊しかねない奇妙な熱だった。
 ――落ち着け、落ち着けオイラ。別に悪い事なんてなんもしてねぇんだ。ただ、アンナを起こそうとしているだけなんよ。
 「アンナ、アンナってば」
頼むから早く起きてくれ。心の中でそう付け足す。
 「ん…よぅ……」
 赤い、柔らかそうな唇から、オイラの名がそっと紡がれた。
 オイラは心臓をぎゅっと掴まれた気がした。息が止まりそうになる。おまけに頭をがんっと殴られた様な衝撃を受けた。くらくらする。めまいが襲う。何も考えられん。
 「アンナ…」
 肺に無理やり押し入ってこようとする空気を押し返して、オイラは震える声でアンナの名前を呼んだ。
「ん…」
 オイラの声にかすかに反応するアンナ。でも目は覚まさない。
 「アンナ」
 もう一度名前を呼ぶ。呼びながら、アンナの唇に、そっと自分のそれを近づけた。アンナは起きない。――起きないから、だから…。
 柔らかいものにそっと触れた瞬間、そこから熱いものがじわりと広がっていった。それがオイラを支配しそうになる。何度か、数えるほどだけど、触れたことのあるアンナの唇は、それでも知らないものの様に、オイラを酔わせた。
 暖かな唇から離れると、オイラはふうと息を吐いた。まだ心臓がバクバク言っとる。この音でアンナが起きちまうんじゃないかと思うくらいだ。息苦しい。
 アンナはまだ眠ってる。無防備すぎて、困るんよ。さらりと茶色の髪に触れて、くりくりと指で巻いてみても、アンナは無反応。
 白い肌も、柔らかい唇も、すべてオイラが触れていいもんだと勘違いしちまいそうになるじゃねぇか。
 ふうともう一度ため息をついて、それからハッと我に返った。
 ――オイラ、今…何を……??
 眠ってる無防備なアンナに…キス…――。
 「うっうわああ」
 オイラは急に恥ずかしくなって、おまけに変な罪悪感みたいなものも生まれて、とにかくいたたまれんくなって思わず頭を抱えて叫んだ。
 オイラ何つうことを……!! 眠ってるアンナに、何……。こんなん世に言うすとーかー?とかなんか言うのと変わんねぇじゃねーか!!
 「ん……」
 アンナが小さくうめいて、オイラはビクッとなった。
 お、起きた…か?
 「ん…よう……?」
「お…おお!」
 オイラは不自然にでかい声で返事をした。
 本当を言うと逃げ出したい気分だったが、オイラは後ろめたいことがあるにもかかわらず、アンナから離れたくないなんてことも思っていて、逃げようかと浮かしかけた腰をもう一度床の上に下ろす。
 「ひ…久しぶりだな、アンナ」
「あたし…寝てた?」
「お? おお」
 イマイチ会話が成り立っとらんが、今のオイラにはアンナが寝ぼけている方がありがたい。
 「アンナが寝とったから、ばあちゃんに起こしてくれって言われて…」
 そう言って居間の方を見ると、はたとばあちゃんと目があった。いつもみたいに平然とした顔だけど…もしかして……。
 「ば、ばあちゃん…もしかしてさっきの、見た……?」
「愚問だね」
 そう言ってばあちゃんは湯飲みを持ち上げ、茶をすすった。
 そうだ、そういう動作が自然すぎて忘れがちだが、ばあちゃんは目が見えんかったんだ…。けど…――。
 「見えちゃいないが、大体はわかるさ」
 そう言って、ばあちゃんはにやりと笑った。
 「…っ!!」
「なに? 何かあったの…?」
「なっ、なんでもないんよ!」
 オイラの顔は明らかに何でもないとは思えんくらいに赤くなっとっただろうが、オイラにはそんなことに気づく余裕がなかった。
 「オ…オイラ、部屋に戻る!」
 がばっと立ち上がって、そう言った。ばあちゃんに見られてたなんて(いや、見ちゃいねぇんだけど)、いたたまれん。
 「アンナが元気そうでよかった」
「え…?」
 オイラはマトモに顔を合わすことが出来ずに、アンナの方を見ずに部屋に向かった。
 ――すまん、アンナ。オイラはあんな勝手なことする気はなかったんよ…。
 ずっしりと重い足を引きずりながら、オイラは逃げるように部屋に戻った。
 苦いけど、甘い、アンナとのキス。
 唇に残る柔らかな感触を噛んで、自分を戒めたが、それでもすべてを舐め取りたいと願っていた。
 凍りそうな空気が、オイラを縛り付けている。気付いちまったこの感覚に、オイラは身震いした。










懺悔。


美しき嫁を目の前にして、こらえきれない葉さんが書きたかったんです。(笑)

甘いはずなのに、苦い。こんなはずじゃなかったのに。
そういう遠距離恋愛時代の思い出。
離れていたら離れていた分、触れたくなる、
たぶんそういう感じです。(どういう感じ?)


bitterなだけあって苦い終わり方ですね……。

題名はポルノグラフィティより。