うたがきこえる


 あたしは、けだるい身体をゆっくりと起こした。
 しばらくの間状況がつかめないでいたけれど、しばらくボーッとしてから、体調を崩して眠り込んでいたことを思い出した。
 今も頭がぼんやりするし、身体に力が入らない。
 がらんとした部屋の中、葉がいないのを見て…少しだけ、心細くなった。
 眠っている間、手を握られていた気がして、あたしはそのぬくもりが残る(と思いたい、)自分の手を見つめた。
 ――何よ、どうせならずっと側にいてくれたらいいのに。
 見当はずれな怒りがこみ上げるのを感じる。
 これも全て、体調が芳しくないからだ…と思いつつ、イライラするのと寂しさは隠せなかった。
 そう、要するに寂しい。葉がいないのが、寂しい。
 あいつのユルイ笑顔が見たい。その笑顔を抱きしめたい。
 ――抱きしめてほしい…!
 どうしようもないほどの衝動に、涙が溢れそうになった。胸をぎゅっと締め付けられる。
 何で泣きそうなんだろう。こんなことで泣けるのか、あたしは。そう思って必死になってこらえるが、涙が出そうな時特有の痛みに、あたしは負けた。ポロリと一粒涙がこぼれて、その軌跡を頼りにあとからあとから涙がこぼれだす。
 泣いている自分が情けなくて、そう思うとよけいに泣けてきた。ごちゃごちゃした感情があたしのなかで膨れあがって、いっぱいになって、内側から呑まれてしまいそうだった。
 そのまま、涙と一緒にもう一度布団に沈みそうになった時、下から…一階から、歌が聞こえてきた。
 へたくそな、はなうた。
 音がたまにはずれて、わかりにくいけれど。たぶんボブの歌。――葉の、はなうた。
 「よ…ぅ……」
 思わず唇から名前がこぼれて、塩の味が口の中に広がった。
 立ち上がって、廊下を歩いて、階段を下りる。
 はなうたと、トントントンと規則正しく聞こえてくる包丁の音。葉の音。――心が温かくなる。
 葉のぬくもりを音に感じて、あたしは泣いていた自分が急に不思議に思えてきた。あたしは何が悲しかったって言うんだろう。――何に呑まれてしまいそうだったのだろう。
 台所の入り口に立って、あたしは葉の姿を見る。
 音のはずれたはなうたを歌いながら、楽しそうに料理する葉。トントントンと野菜を切って、鍋に放り込んで…。まるで主婦ね。そう思ってクスリと笑うと、葉があたしに気づいて振り返った。
 「おおアンナ、もう具合はいいんか?」
「ええ…」
 小さく微笑んで、あたしは葉に近づいた。流し台に向かう葉を、後ろから抱きしめる。あたしより幾分広い背中に、頬をすり寄せた。
 「? アンナ…?」
「ん…」
 ギュッと腕に力を込めて、抱きしめる。
 「危ねぇぞ、オイラ包丁持ってんだからよ」
 葉が笑いながらそう言うけれど、あたしを無理に離そうとはせず、むしろお腹の部分であたしの手を握ってくれた。暖かな葉の手が、冷えていたあたしにぬくもりを分けてくれる。
 「葉……」
「ん?」
「あんた…へたくそね、歌」
「聞いてたんか」
 葉が恥ずかしそうに笑った。
 「でも…あったかい……」
 ぎゅっともう一度抱きしめると、葉は照れたように頭を掻いた。
 「アンナ…」
 葉はあたしがまわしていた腕をそっとほどかせて、身体をこっちに向けた。あたしの頬に触れて、唇を這わせてくる。
 「ん…」
 身をよじると、今度は葉の方がギュッとあたしを抱きしめてきた。こうしてほしかったはずなのに、少しだけ羞恥心が芽生える。
 「……泣いてたんか?」
「……!」
 どうして分かったの、という目で見上げると、
「しょっぱかったからな」
と、ペロリと舌を出して答えられた。葉はいたずらっぽく笑う。
 納得して、少し息を吐いた。
 「大丈夫…ちょっと、精神的に不安定になってるだけだから……」
 ぎゅっと抱きつくと、葉は優しく抱きしめ返してくれた。
「ん…無理すんなよ」
「…うん」
「まぁ、お前はつわりがひどくねぇ分、良かったけどな」
 あたしのお腹に触れて、葉がユルく笑う。
 「お、ちょっとおっきくなったか?」
「…まだよ」
 あたしは気の早い旦那に呆れて笑った。そんなあたしにもう一度キスをして、葉は微笑んだ。
 「しんどかったら言えよ。オイラお前のつらさとか、分かってやれねぇことだらけだと思うけど…頑張るから」
「……あんたが産むわけじゃないでしょ?」
 その言葉に、ふたりして小さく笑った。
 「…こうして抱いていてくれたら、安心するの」
「おお」
 台所で抱き合って、支えられて、あたしに穏やかな感情が戻ってきた。軽い口づけを何度も交わして、次第に舌を絡ませ合っていると、鍋が噴きこぼれた音がジューッと響いた。
 「うえっ!?」
 葉は慌てて火を止めて、ふぅと息をつく。それからあたしの方へ振り返った。
 「…うまくて栄養のあるもん食わせてやるから、ちょっと待ってろよ」
「本当に美味しいものじゃなきゃ嫌だからね」
「おお」
 葉は笑ってまた包丁を握り、野菜を切り出した。また、自然とこぼれる下手くそなはなうた。規則正しい包丁の音。
 無性に安心できて、あたしは台所の椅子に座りながら葉の後ろ姿を眺めた。葉は時々振り返って、今日の夕食のメインは…なんて話し出す。
 ぐらぐら揺れそうになる不安定な心を、葉はあっという間に支えてくれる。
 優しいうたがきこえる。
 お腹にそっと触れながら、あたしは微笑んだ。
 この子にも、聞こえているに違いない、葉のうた。
 伝わっているに違いない、あたしの嬉しさ。
 そのうちこの子も動き出す。足音が聞こえる。もう、すぐ側まで。
 ――うたがきこえる。













懺悔。


何か甘い……ヤケに恥ずかしい一品。
嫁が弱いのは、妊娠中で精神不安定だからです。(説明しなくては分かりにくい…)
普段怒りは隠さない嫁だからこそ、不安定な時には弱い部分が出てきそうな気がする。
恐らく妊娠3ヶ月くらいかと。(なので胎動はまだですが…)
あと1ヶ月ほどで動き出すに違いない。(笑)


きっと本当はもっとケンカするだろうけど、あえて甘々で。
書いてて変に恥ずかしかったのはなぜだろう……。(笑)




謝意


これは、相互を快く承諾して下さったなぎなみさんに捧げますv

「歌にまつわる夫婦の話」…ということでこんな形に……。
歌っつっても葉がへたくそなはなうた歌ってただけでしたけど……(汗)

こんなんですが、受けとって下さいませ!
これからも、ぜひぜひお願いします。