嘘みたいな I Love You
 
 「バレンタインデー…?」
 アンナの呟きに、木乃は顔をあげた。
 「なんじゃ、興味があるのか?」
「…バレンタインデーって、何」
 その言葉に、木乃は驚いたように、わずかに眉をあげた。しかし考えれば当然かもしれない。他人と関わる事を避け、部屋に閉じ籠っていたアンナが、着物を脱ぎ、黒いワンピースを着て外へ出るようになってから1ヶ月と少ししか経っていない。バレンタインデーも知らなければ、ホワイトデーも縁がない。
 ――当然だ。
 木乃はかすかに眉をひそめ苦い思いを噛み締めたが、一目でそれと気づく人間は少ない。その少ない人間の中のひとり、アンナは木乃の表情を見つめて何か変なことでも尋ねてしまったのだろうかと少し後悔する。
 今までいやでも流れ込んでいた他人の感情は、ぷつりと途絶えてしまった。原因はわからない――あの男のおかげだということしか。
あれほどにくみ続けた能力なのに、一度消えてしまうと不安になってくるというのも皮肉な話だ、と思う。木乃が何を考えているのか、口に出さねば分からない。
 しかしテレビ画面に映っているバレンタインデー特集とやらは、何やら楽しそうにチョコレートの作り方などを紹介している。そんなに変な事を尋ねてしまったとは思えないのだが。  
 「木乃…?」
「ん、いや…」
 何でもない、と誤魔化してから、木乃はいつもの皮肉ったような笑みを浮かべた。
 「バレンタインなんてのは、祭りさ。好きな男にチョコレートを渡して思いを伝える…メーカーに躍らされた人間が駆け回る祭りさ」
「へぇ…」
 アンナは興味があるともないとも掴みがたい呟きを漏らす。しかしその後は静かにテレビ画面を見つめていた。
 しばらくしてその特集とやらが終ってから、アンナが聞いた。
 「ねぇ…好きな男って、愛してる男でもいいの?」
「…いいんじゃないかね」
 内心面食らって答えたが、アンナが思い浮かべているだろう男のことを思うと、自然笑みがこぼれた。
 「躍らされてみるつもりかい?」
「…聞いてみただけよ」
 アンナはそう言ってふいと立ち上がった。
 「ああ、そうじゃアンナ」
 木乃はその背中に声をかける。
「…?」
「13日には出雲に向かうからね」
「…なぜ」
「用があるからに決まっておるだろ。お前もついてくるんだよ」
「…」
 アンナは何も答えず、部屋を出ていった。木乃はそれを気配で感じ、小さくため息をついた。
 ――そうそう素直になれるものでもない。今までのあの娘を見ていれば分かる。それでも…それでも、あのふたりがより近づけば…。
 あとで葉明に、急に出雲へ行く事になったと伝えねば、と考えながら、木乃は茶をすすった。用事などあとでいくらでも作れるだろう。
 
 「13日にこっちに来るって…?」
 電話の向こうで、愛しい男が素っ頓狂な声をあげる。
 「正確には14日なると思うけど」
 アンナはさらりと訂正して、続けた。「――ヒサシブリに、会えるから」
「おっ、おお」
 喜んだふうに答えたあと、葉は黙った。頭の中で何やら考えているようだ。
「14日…ってぇと水曜か……?」
 学校あるじゃねぇか…と心の中で落胆する。いや、いっそサボっちまうのも悪くねぇ。どうせ学校なんて好きじゃねぇし。
 「学校、行きなさいよ」
 アンナに言われ、葉はドキッとした。もうあのチカラは無くなったはずなのに……。
 「お前、まだ人の心が……」
「違うわ。あんたが分かりやすいだけよ」
「……」
 あっさり言われて、葉は苦笑するほか無い。だがふと、ある考えに到達する。
 「14日……? って…」
 葉のその小さな呟きに、アンナの心臓が跳ね上がった。――葉も知っているのだろうか、あの、祭りのことを…。
 「あ、いや、んなはずねぇな」
 何でもねぇ、と葉は慌てて言って、アンナを気遣うような口調になった。
 「そっち…寒くねぇか?」
「……寒いわよ」
「そうだよな」
「…」
「そ、その…気ぃつけろよ、風邪とか……。オイラ、アンナが来てくれんの楽しみにしてるから……さ」
 葉は何も言わない。しかしおそらく、風邪でもひいてアンナが出雲に来れなくなってしまう事を懸念しているのだろう。――もちろん、風邪のことも心配してはいるのだろうが。
 「バカ…行ってやるわよ、出雲くらい」
 その言葉に、葉はいつものユルイ笑いをこぼす。
 「じゃぁ…楽しみにしてるからな、14日」
「……うん」
 おやすみ、とだけ言い交わし、アンナは受話器を置いた。いつも他愛のない話を繰り返し、そうそう長い時間話す事もなく電話を切る。いつものことだ。けど……
 "楽しみにしてるからな、14日"
 葉の言葉が耳の奥で響き続ける。チョコ…を、期待しているのだろうか、あの男は。欲しいのだろうか。
 アンナは、メーカーが勝手に作ったような祭りに、のせられてやる気はさらさらない。人間が欲のままに、大手を振って主張するイベントなんかに。
 ――けれど、問題はそこではない。メーカーなんてどうでもいい。
 要は、心の問題なのだ。あの男がチョコを欲しいと思っているのなら…もし、求めているのなら、それに応えたいと思う。大切なのは、心なのだ。自分の心と…そして、葉の心。
 その心が、今は分からない。分からなくなってしまった。それをどう知ればいい?
 アンナは葉との会話を頭の中で振り返った。心地の良い声が、耳元によみがえる。同時に、胸を締め付けられたかのような切なさがこみ上げるのを感じた。
 葉……葉は、14日と言うと、何かに気付いたように言葉を濁した。…けど、それは本当にそうだっただろうか。自分の思い過ごしではなかっただろうか?
 葉は別に、チョコなんか期待していないのかも……。それどころか、昼間の自分と同じように存在すら知らないかも知れない。それなのに「バレンタインデー」などといういかにもあやしげな響きにつられてチョコを渡してしまったら…。
 葉のぽかんとした表情が浮かぶ。
 そんな自分には耐えられないだろう。欲しくもない、求められてもいないチョコを手渡す自分なんかには……。
 電話の横に座り込みながら、アンナは自然に火照ってきた頬を両手で押さえた。――どうすればいい? あたしは、どうすれば……。
 バレンタインデーなんて知るんじゃなかった…と後悔しながら、アンナはしばらくその場に座り込んでいた。
 
 受話器を置いたあと、葉はため息をついた。
 もちろん、アンナに会える事は嬉しい。たった1ヶ月と少し会えなかっただけだ、と、言葉で言うのは簡単だが、実際には長かった。こうして電話で話すことは何度も繰り返してきたが、実際に会えるのは…本当に、久々で。
 そしてその日が、2月の14日。世間じゃバレンタインデーなんて言って、チョコレートが飛び交う日だ。
 学校でも、ませた女子がチョコを配って喜んだりしていた。(もちろん、葉は貰った事など無かったが)
 今までそんなものに興味はなかった。期待するだけバカらしいし、期待するほどの事でもない。母ちゃんとたまおが義理でくれたら、1ヶ月後にテキトーにキャンディーでも買って返すだけの、まぁギブアンドテイクな感覚だけがつきまとう、どうでもいいものだった。
 しかし、今年は…アンナと出会って、初めて、期待というものが胸の内に湧くのを感じた。一瞬、そのつもりなのかと本当に考えたのだが、少ししてアンナがそんなイベントを知るはずがないことに気付いた。知っていたとしても、あの意地っ張りなアンナが素直にチョコレートをくれるなんて思えない。……そんなところも可愛いなんて思ってしまうのだから、重症だ。
 葉はため息をついて、部屋に繋がる廊下を歩く。白い息がふわぁと広がり、浮かびあがった。
 アンナが、くれるはず無い。
 でも……少しくらい、期待してみてもいいんだろうか?
 白い息と同じくらい、つかみ所のない漠然とした期待が、浮かんで、消えていった。
 
 ※
 
 麻倉の家を見た時……アンナはその大きさに、目を見張った。葉の心を通して見たことはあったが、実際に目にすると、初めて来るものにとっては威圧感がある。――それはおそらく大きさだけの問題ではないだろう。その地に滾々と積み重ねられてきた霊力が、そう思わせるのかも知れない。
 「何じゃ、圧倒されているのか」
 アンナが黙りこくっていることを受けて、木乃がからかうように言った。
「…そうね」
 アンナは素直に肯き、続けた。「まぁ、あたしの旦那になる男なんだから、これくれいの土地は持っていて貰わないと」
 その言葉に、木乃は声をあげて笑った。
 「ハッハッ、確かにお前くらいの人間じゃないと、麻倉の嫁にはなれんな」
「…」
「重いよ、この家は。お前が葉の嫁になるっていうのは、この家を背負うってことさ。…まぁお前が断ろうとも、わしたちはお前を手放す気はないがね」
 アンナは木乃の言葉をボンヤリと聞いていた。
 自分の心が騒ぎだしているのに気づき、きゅっとくちびるをかみしめる。もうすぐ会える。あの男と…葉と、会えるのだ。そう考えるだけで鼓動が高まり、切ないほどの愛しさがこみ上げた。あたしはあの男を愛しているのだ。それを、今更ながら痛いほど感じる。
 ――それでも…そう思っていても……。
 耳を素通りしていったはずの木乃の言葉が、再び舞い戻ってきた。
 あたしは別に、家とケッコンする気はないのだけど、とアンナは思う。それでも麻倉が決めた許嫁である以上、従わないわけにもいかないのだろう。例え葉がアンナを嫌うことになっても――逆はあり得ないとアンナは自負していた――許嫁のひとことで麻倉は終わらすに違いない。
 そんなことを考えていると、チョコがどうしたかなんていうのはふいに、本当にちっぽけなことに思えてきた。
 あたしの――そして葉の気持ちなど関係なく、気付けばケッコンしているのかもしれない。ならもう、チョコなんて関係ないじゃない。アンナは冷えていく感情にまかせて、胸の中に居座り続けた重い塊を忘れ去ろうとした。
 関係ない。あたしの気持など…――。
 胸のもやが消えたのか、それとも更に大きく自分を覆いはじめたのか、アンナ自身分からなかった。
 
 玄関の扉をあけると、普段は見かけない靴が二足並んでいるのを見て、葉はアンナと木乃が来ていることを察した。くそう、やっぱり学校を休めば良かった、と毒付く。
 いつも通り、友人のいない学校なんて面白いはずがない。
 靴を脱ぎながらアンナのことを考え、思わず頬が緩んだ。
 「おかえりなさいませ、葉様」
「…おお、ただいま」
 玄関に出迎えに来たたまおに緩んだ表情を見られたかと思い、一瞬焦る。
 「な、なぁ、その…ぅえーと…」
 しばらくどういう言葉を使おうか躊躇い、それから言った。
「ばあちゃん、来てっか?」
「は、はい…木乃様は…アンナ様を連れていらしてます」
「そうか」
 葉は思わず微笑んで、緩みきった笑顔をたまおに見せた。
 アンナに会える。もうバレンタインとか何だとかはどうでも良かった。あの意地っ張りで、それでいてかわいい少女に会えるのならそれだけでいい。
 葉は急いで玄関を上がり、居間に向かおうとする。
 葉の笑顔とは反対に、たまおの表情が少し曇ったのにも気付かなかった。
 「よ、葉様…っ」
「んあ? 何だたまお」
 引き留められ、つんのめりそうになりながら葉が振り返った。
 笑顔がたまおに向けられたが、それは自分のことを思う笑顔でないことは、たまおにも分かっていた。それでも…――
 「葉様…あの、こ、これを…!」
 たまおが、両腕を前に突き出して、手に収まる小さな箱を差し出した。勢い良く顔の前に箱が飛び出してきて、葉は思わずのけぞった。
 「これはもしや…」
「ち、ちょこです…」
 小さな声でたまおが呟く。顔が真っ赤になっていた。
 「いや〜毎年すまんな」
 葉は笑顔を向けて、その差し出された箱を受け取った。恥ずかしがりやのたまおが顔を赤くするのはよくあることで、大して気にとめていなかった。
 「ありがとな、たまお」
 毎年気を遣ってチョコを渡してくれるこの妹のような少女が、葉は好きだった。
 「1ヶ月後に何か返すからな」
「い、いえ、そんなつもりでは…」
 たまおが慌てて顔の前で両手を振る。自分に向けられた笑顔に、たまおはますます顔を赤くした。
 何もそんなに遠慮せんでも、と葉は笑いながら思う。手に持った可愛らしい箱を眺めて、たまおにもう一度礼を言った。
 「い、いえ…」
 顔を赤くしていたたまおがそう呟き、葉の後ろを見てはっと息を飲んだ。
 「…?」
 たまおの表情に気づき、葉が振り返ると……
 「ア、 アンナ…」
「…」
 ギロッと睨まれ、葉は縮みあがる。出会った時と変わらぬ凄味に恐怖を感じた。
 一目見れば愛おしさばかりがこみ上げるだろうと漠然と考えていたが、まさか恐怖を感じることになるとは……。
 「アンナ…?」
 機嫌を伺うように声をかけると、アンナはますます怒りの表情を見せた。ビ、ビンタか…!? そう思って思わず目を瞑り身構えたが、予想していたものは来ない。頬が痛むこともなければ空を飛んだ感覚もない。
 「…?」
 恐る恐る顔を上げると、元いた場所にアンナはおらず、玄関で靴を履いている。
 「お、おい……!」
 後ろ姿に声をかけ、呼び止めようとするが、アンナは何も言わずに玄関を飛び出した。
 「アンナ…!」
「あ、え、ええ……?」
 たまおはその場でおろおろうろうろしている。葉はどうしてアンナが飛び出したのか訝しがりながらも、気付けば靴を履いて家を出ていた。
 「アンナ…ッ!」
 アンナは競歩並みのスピードでずんずん歩いていく。歩いているはずなのに一向に追いつけない。葉は慌てて、力を振り絞って走った。こんなに真剣に走ったのは、あの大晦日の夜以来な気がした。
 …いや、あの時は、アンナの命が危なかった。守らなくちゃならないという思いが、自分を駆り立てていた。けど今は放っておいたからといって、命の危険性がある訳じゃない。
 でも……!
 「アンナッ」
 ようやく追いついて、アンナの腕を取る。急に腕を掴まれたアンナは、後ろに転びそうになった。それを葉が慌てて支える。
 「……はぁ、やっと追いついた……」
「離せ」
「…アンナ……?」
 俯いて、小さく低く呟くアンナに、葉は驚いて目を丸くする。
 「離して…!」
 キッと葉を睨みあげた瞳には、小さく涙が浮かんでいた。葉はますます驚いたが、この手を離す気はなかった。
 「どしたんよアンナ…」
「いいから、離しなさいよ!」
 アンナがあまりに嫌がっている風なので、葉は離す気のなかった手の力を緩める。アンナはぐいっと手を引いて、数歩下がって葉から逃げた。
 「アン…」
「…たしは……」
「……?」
「あたしは、チョコなんて用意してないから…っ」
 あまりの意外な言葉に、葉は唖然とする。それでもアンナは本当に苦しそうに、涙をこらえながら葉を見つめた。苦しそうなくせに目をそらさない。何か文句でもあるの、とでも問いたげな口調で、会えるだけで満足だった葉に食ってかかる。
 「いや……うん、まぁ、その……」
 そうかと言ってまったくもって期待していなかったわけではないので、葉もばつが悪い思いをしながら頭を掻く。
 「……うん」
言葉を決めて、葉はアンナの方をしっかり向いた。
「アンナは、それでいいからさ」
「……!」
 アンナは驚いたように目を丸くし、その拍子に支えを失った涙がぽろりとこぼれた。
 「いや、その…アンナは、アンナだからさ……オイラは会えたらそれでいいし……そりゃ期待してなかったって言ったら嘘になるんだが……でも」
 チョコなんてなくていい。
 「お前がそんなに苦しそうなんて……」
 アンナのことだ。きっと意地を張って、チョコを買わなくて、それでも思い悩んでしまったのだろう。そんな時にたまおからチョコを受け取る自分の姿を見たに違いない。他人が聞けばうぬぼれだと思うかもしれないことだったが、不思議と葉は自分の考えに疑いを持っていなかった。
 言葉をなくしたアンナが、その場で突っ立っていた。
 葉はゆっくりと近づいて、アンナの手を取る。アンナがびくっと小さく震えた。
 「オイラは…アンナがいてくれたら、それでいいみたいだ」
「葉…」
 アンナは小さく呟く。葉はそんなアンナに笑顔を向けた。
 「なぁ、帰ろーぜ。たまおもびっくりしてた…――」
「あたし、つらかったの」
 アンナの手を取って歩こうとしていた葉は、アンナのその言葉に歩くのを止めた。
 「……」
「バレンタインなんて、怪しいし、商売っけだしまくりだし、変にいやらしいし」
 葉はアンナの批判に苦笑をもらす。
 「でも…もし、あんたがチョコを欲しいって言うなら…渡してもいいと思ったの。そんなものであんたが喜ぶんなら、あたしはチョコをあげたかった」
「うん」
 葉は頬を掻いた。こそばゆい気持ちが胸の中を駆け回り、自分を笑わそうとしているようだった。自然に頬が緩んでにやけてくる。
 「でもあたし、あんたがチョコを欲しがるか分からなかった。もしいらないって言われたら…それが恐かった」
 強くなりたいのに。負けたくないのに、逃げ出した。
 「あたしにはもうひとの心が分からない。流れ込んできた感情が絶えて、騒がしかったのが急に静かになった」
 痛いほどの静けさだった。ドロドロと渦巻き自分を黒く覆ってしまうとするあんなチカラは、吐き気がするほどいやだった。けれど、流れてきた声を気にしなくて良くなったとたん、自分を取り囲む静寂に気付いたのだ。耳が痛くなるほどの静けさ…――。
 「あたし、結局どうあがいても上手く生きられないんだわ」
 あのチカラをなくすということは、今まで自分を積み上げてきた基盤が崩れ去ったも同然なのだ。いいにしろ、悪いにしろ、基盤が崩れれば自分も崩れ去るほかない。そういう意味で、アンナは何も作り上げられていない本当に小さな子どもと同じだったのだ。
 「なんだよ、そんなことか」
「な…っ」
 アンナは自分の思いを踏みにじられた気がして、怒りがこみ上げてきた。お前に何が分かる。前に言ったコトバが頭によみがえった。
 けれど怒りにまかせ葉の顔を見、その浮かぶ優しげな表情に気付いた瞬間、彼は自分をバカにしているわけでも、投げすてているわけでもないのがわかった。
 「だって、オイラお前に聞かれてないしさ」
「…は?」
 わけがわからず怪訝な表情を浮かべる。
 「オイラ、チョコ欲しいかどうか、お前に聞かれてないもんよ」
 …それはそうだ。自分にも聞いた覚えなどない。
 「わかんねぇことは聞かんと。コトバが流れてこないなら、言葉にして貰わんと分からんだろ?」
 葉はユルく笑って、アンナの手を強く握った。思わずそちらに気を取られて、アンナの頬が赤く染まる。
 「例えばこうやって手を握って…でもちょっと恐いんよ。アンナが嫌がってるかも知れんって思ったら、恐い」
 ――嫌じゃない。温かな手が心地よくて、自分の心にも熱が広がっていく。葉の心地よい声が、耳を通って胸にまで流れ込んでくる。
 「でもアンナは逃げねぇし、大丈夫なんかな、って思う。でもまだはっきり分からんから悩む。聞いていいもんかどうかも悩んじまう。…まぁお前が逃げねぇってことは嫌じゃないんかなって自惚れちまうけどさ……」
 葉は照れたようにウェッヘッヘッと笑った。
 「なぁ? わかんねぇことは聞かなきゃずっとわかんねぇぞ。言葉にして貰わんと。言葉で全てが伝わるわけじゃなくても、少しくらいは伝わるはずだろ? そりゃ、もしかしたら言葉がなくても通じ合う関係っつうんはあるんかも知れんが……そういうのってなかなかあるもんじゃないだろうし」
「葉は…」
「んお?」
 ずっと俯いて黙っていたアンナがふいに話したので、葉は過剰なほどに反応してしまった。
 「葉は……? チョコ、欲しかったの?」
「…おお、ちょっと期待してた」
 葉の言葉に、ようやくアンナは顔を上げ、わずかに微笑んだ。
 「そう」
「おお」
 葉もアンナに微笑み返した。可愛い。でもそれを言葉にすると、その笑顔は引っ込んでしまう気がした。
 「来年とか……チョコくれたら、オイラ嬉しいんだけど」
 手を握りながら、葉がおどおどと言う。
 「……考えとく」
 アンナはそう言って、葉から離れようとした。しかし葉が手を離そうとしない。
 「葉…?」
「その…もうちょっとこのままじゃいかんか…? 久しぶりに会えたんだし……」
 その言葉に、アンナは葉と顔をつきあわした瞬間に、自分が離れていったのだということを思い出した。
 「…うん」
 アンナは小さく肯いた。葉はそれを見て頬がゆるゆると緩んでいく。
 「なぁ、もう少し歩こうぜ。このあたり見せたいんよ」
 こくんと肯いて、アンナは葉を見上げた。微笑むこの男がたまらなく愛おしかった。
 不意に視線が絡みあって、互いに頬が熱くなる。嘘みたいに緊張していた。
 「…こいうのも…口に出して聞いたらいいのかしら……」
「な、何を」
 互いに不自然なほどに緊張して、頭がうまく回転しなかった。
 何を…、そうだ、あたしは何を……。
 ボーっとしてそれでも絡みあう視線をはずせずに、熱がこもった瞳を震わせ潤ませて、アンナの唇がその名を呼んだ。
 「葉……」
「ア、アンナ……」
 距離が縮まる。熱のともった手を握り合って、震える唇がそっと近づき……重なった。
 次の瞬間にはもう離れていて、本当に起こった出来事かどうかわからなくなった。けれど唇にはまだ柔らかな感触が残っている。
 瞳を見あって、確かめるようにもう一度唇を重ねた。短いのか長いのか分からない。ただゆっくりと時が過ぎて、暖かく柔らかいものが自分の唇に触れるのを感じ、そしてまたゆっくりと離れた。
 「……」
「…。え、と…? ん……?」
 戸惑いながら、葉は自分がしたことを反芻する。
 今行った行為の名称をようやく思い出して、葉は赤い顔を更に赤くした。
 「キ、キス…しちまった……んか」
「……」
 赤くなって俯くアンナは、わずかに首を縦にすることしかできなかった。
 「はは……何かチョコよりいいもん貰った感じだ……」
「……ばか……」
 アンナはかすれそうな声で呟いた。
 大きく息を吸って、呼吸を整える。心臓が痛いほどに激しく胸を叩いていたが、気付かないふりをした。
 「ほら、帰るわよ、葉」
「え、あ、散歩は……」
 ――こんなにドキドキしているのに、ふたりっきりで歩くなんてとんでもない。心臓が壊れてしまうに違いない。
 「帰るわよ」
 キッパリと言い放つアンナにこれ以上は逆らえないと思ったのか、葉は先を行くアンナの後を追った。
 嘘みたいに突然やってきたキス。突然襲ってきた感覚。愛しているっていうのがどういうものか自分にはわからない。アンナはそれを口にするけど……。
 愛してるのかなんて分からない。
 けれどこんな、心の中の暖かな気持ちを表す言葉もまた、葉は知らなかった。
 「葉、はやく!」
「ういっ」
 勢い込んで返事を返し、葉はアンナの横に並んだ。触れた肩から、嘘みたいに熱が広がっていった。












懺悔。


バレンタインの話が書きたかったのか、ルヴォのあとが書きたかったのか謎。
さして甘くもなく、そのくせやけに量だけはあります。(笑)

ホントはチューだってして欲しくなかった…のに……
気付けばあのふたりがかってに……!(笑)
(しかしキスせんかったらちっとも甘くない話になってた気はするな…)


アンナが力を無くしてから、無くした部分を埋めていくのは葉だろうと思います。
なんとなく、そんなことが書きたかったのかも。
しかし結局言葉にしなくても分かり合ってるあたり…私の中の夫婦像が拭いきれなかったようです。(くっ……)



題名は宇多田ヒカルより。
たまたまBGMだったので。(笑)
歌詞に内容とピッタリな部分があったので、急遽書き足したりなんかもしました。