暗夜生誕


 月が昇った空の下、縁側でくつろぐ葉はうんと足を伸ばした。
 まだ少し肌寒い。浴衣では少しばかり冷える。
 それでも心地良いと感じる新緑の匂いが、暗闇に包まれた庭から漂ってくる。
 葉は伸ばした足を地面におろし、そして少ししてから床の上へ持ち上げた。
 あぐらをかいた足の上に肘をつき、月とも庭ともない方向を眺める。
 深夜0時。
 二十歳を迎えたことを、室内の時計を振り返り肩越しに確かめた。
 はたち、か。
 これで酒も煙草も合法的に嗜むことができるわけだが、どちらにもさして興味はなかった。
 しかし試してみるのも悪くない。
 葉はあらかじめ竜に祝いと渡された、手に収まる箱を見つめて苦笑した。
 ご丁寧にもライターまで添えてくれたわけだが、その銀色に光るやすりに指をあてるかはまだ判然としない。
 ――思えば子どもらしさなど疾うに捨ててしまった気がする。
 抗いがたい宿命に捕らえられ、飛び込んだ時から。
 子どもや大人といったカテゴリーを飛び越えたあの戦いに身を投じた自分としては、二十歳という数字に意味があるのかないのか、それすらも判断できなかった。
 手の中で遊ばせていたライターを、本来の目的にふさわしい方向に持ち直し、葉は指をやすりにあてた。
 力を込め親指を引くと、ジュッと音を立てて赤い炎が暗闇に浮かんだ。指を放せば、また辺りには闇が静かに横たわる。
 こんなに簡単に、火は操れるものだろうか。
 少なからず苦い思いをたたえライターを見下ろし、そしてそんな自分の面持ちを想像すれば否応なしに片割れが思い出された。
 その思いを振り払おうとするかのようにもう一度火をつけると、箱から取り出したタバコにそれを近づけてみる。
 火のついたそれを口に運ぶと、想像していたよりも甘い味が口の中に広がった。
 うん、悪くはない。
 しかし良くもない。
 どうやってこれにのめり込んでいくのか、その酔狂さには興味があった。
 ふぅと息を吐くと、暗闇にも白い煙が舞い上がるのが分かる。
 指先の赤一点から立ち上り風に揺られる煙の動きを見つめていると、抗えないものは数多くある気がして、うすら寒くなった。
 「死の誘導因子を増やそうだなんて、いい度胸ね」
 不意に後ろから皮肉めいた声が降りかかって、葉は思わず声を上げた。
 「ぅお」
「あんたが死ぬのは勝手だけど、そのときはあたしも追っかけるから覚悟する事ね」
「アンナ…」
 物騒なことを言う。
 隣に座ろうとするアンナの横顔を見つめながら、葉は汗を流した。
 追いかけるというのをどういう形で成し遂げるつもりか知らないが、恐らく自分が――死んでいなければ――止めるような方法だろう。
 葉はこの危険因子の火を消そうかと思ったが、あいにく竜は灰皿はくれなかった。
 所在なさげにタバコを揺らし、葉はどうしたもんかと頭の片隅で思案した。
 「…何で起きてんだ」
 アンナの横顔から視線をはずし、暗闇を見つめて葉が聞いた。
 「いつまでたっても寝に来る気配がないから」
「フーン」
 指を揺らすと赤い光も揺れる。煙が暗闇に舞い上がりながら、有害な匂いをまき散らしている。
 「それより何よ、ソレ」
 アンナは不意に葉に顔を向け、手に持つタバコを睨んだ。「不愉快」
 「うーん、竜がくれた。アンナも吸ってみるか?」
「生憎、あたし若さも美貌も易々と手放す気はないのよ」
「ふむ」
 それはいい。自分にとっても、妻がそのような意思を持っているのは非常に有益だ。
 やはりすぐさま消しにかかろうと考え、しばらくして葉は身体を屈めて庭の砂に火の先を何度も押しつけた。
 火が消え、先が折れ曲がったタバコを手にし、それを床に置くか庭に一時的に放置するかで迷っていると、アンナが声を出した。
 「何でそんなもの吸おうと思ったの」
「別に…一回くらい、吸ってみても悪くはねぇかなと思ったんよ」
 結局指先でつまんだままの状態で、葉がそれに返事をした。そこに嘘も隠し事もない。
 「なにそれ。子供じみた好奇心ね」
「…子どもっぽいか?」
「気になって吸う。これのどこが大人?」
「うん…」
 なるほど、言われてみれば。
 口に残る味は決して美味くはなく、たぶんこれで一度きり。
 確かにそうだ。葉は声をあげて笑った。
 「子どもっぽいなぁ」
 貰ったとはいえ、それを律儀に試してみるとは。
 疾うに捨てたと思った物は、常に自分の内にあったのだろうか。
 葉は小さく笑みを浮かべながら、火の消えたタバコを庭に捨てた。
 何がそんなに楽しいのか。アンナは呆れ返った表情で葉を見た。
 「そういや、花は?」
「寝てるわよ、当然」
 夫の真意などどうでもいいと思ったのか、アンナはたばこの箱を中身ごとひねり、見事ごみに仕立て上げてしまった。
 少しもったいないと思いながら、口は別のことを話す。
 「朝になったらどっか遊びに行こうかと思ってさ。公園とか」
「ああ、あんたの誕生日だしね。好きにすれば」
「覚えてたんか」
 その言葉に、アンナは驚いたように眉を上げた。
 「忘れてると思ってたわけ」
「まァ…民宿忙しいし」
「フーン」
 恐ろしいほど美しい笑みをたたえ、アンナが葉の頬に手をやった。
 自分に都合のいい展開を予想した次の瞬間、葉は頬に激痛を感じた。
 「いってぇ!」
 つねられて身をはがし、葉は頬を押さえた。涙まで浮かんでいるのに気付く。
 「女の記憶力、なめないでくれるかしら?」
「てー…」
 痛みで目が覚める。
 まったく、確かに妻の行動も記憶の使い方も分からないで何を偉そうに成人か。
 自分の子どもらしさに呆れながら、しかしそれでも葉は心の中でどこか安堵の笑みを浮かべていた。
 子どもっぽい自分は、それでも一端に父親で、そのような両方をもてあます自分もまた自分だった。
 結論的に、二十歳という数字に意味はないようだった。ただそうやってひとつひとつ数字を迎えていくことができることが実は難しく、それを愛しい人間と迎えることができるのは更に幸運であるとも思う。
 つまりは結局何も変わらない。はじめもさいごも二十歳という数字はどうでも良いし、流れる生命の道筋に抗えないのは常だ。
 面白いほどにどうでもいい。
 「んーそろそろ寝るかな」
「勝手にすれば」
 気ままな葉の発言に愛想を尽かした様子のアンナは、振り返らずに言った。
 「何言ってんだよ、来いよお前も」
「…」
 聞いた言葉を疑うように、アンナはゆっくりと葉を見た。
 「えらく強気な発言ね」
「いいだろ、祝ってくれても」
 その方途というやつは聞くに及ばず、アンナは大きく息をついた。
 公園に行くのは明日の何時頃になるのだろうかと頭の片隅で思ったが、それもまたどうでもいいことだと気づき、葉はアンナの手を握った。






懺悔

誕生日…なのかどうか。
結局は、どうでもいいなの話です。


若くして父親になるのって、葛藤があるんではないかと。(希望)